徒然な風の場所―「夢見石の庭」 

徒然と日常なり、夢の出来事なり、TVの感想なりと日常の中の不思議をつづっていくブログです。よろしくお願いします。季節凪がささやかにどこかで

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SAOに関する概論

・SAOは何故面白い物語なのか

私はSAOが第二章の連載が始まる寸前に出会った。高校一年生

か中学三年生の頃だったように思う。このネット小説の醍醐味は

ある種の知的な面白さではなく、血の沸き立つような戦闘シーン

の流麗さだと思う。私は小説のよしあしを判断する際に、その世

界で生きてみたいか否かという問いをいつも自分に投げかけるが

、この世界では生きてみたいと思う。

・特徴から見たSAO

当然、SAOを語る上で外せないのがIT技術の進歩、あるいはその

未来系とでもいうべき要素である。そして、ヴァーチャルな世界

で形成された絆、リアル以上のリアルとして迫ってくるネットワ

ーク空間である。私はこの物語を読み始める直前にSAOと構造が

似ている本を読んだことがあったが、はるかに洗練されたディテ

ィール、設定の考察(なるほどと思わせられるものも多い)。では

、何故SAOは人に面白いと思わせられるのだろうか、その理由の

一端を私見ながら考察していきたいと思う。

・SAOの面白さ

登場人物(あえて、キャラクターとは呼びたくはない。小説・或

いはネットワークの中の人々をある種尊重するいいかたとして登

場人物という言い方を用いる)の特徴については確かに魅力的で

それが面白さの一助になっているということは疑いようがないと

思う。

しかし、現実に無理なく即し、かつ魅力的な登場人物というのは

自明の理ではあるが、それだけが理由とも思えない。最も、その

自明の理を行いうるのは大変なのだけれど。次に舞台について考

察してみよう。SAO全般に言えることだけれど、舞台はヴァーチ

ャルワールドが主なところではあるけれど、現実世界がSAO2や

SAO3、そしてSAO4においてとても絶妙な役割を果たしている。こ

ここそがSAOの面白さの主要な要因なのではないだろうかと思う



私たちの一定以上は日常というルーチンをこなす事に倦怠の感を

覚えて、ネットやゲームなどでその倦怠を一時的に忘れるという

作業を繰り返している。私たちは無意識の内に冒険なり、ファン

タジーなり、スリルを求めているのではないかと思う。それが、

主人公桐ヶ谷和人という人物をモニターしながらも擬似的なネッ

トダイブの一端を経験するという興味ではないかと思う。

その中に、ダイブ強く、現実世界にそういったマシンインターフ

ェースなりの登場を強く望んでいるという感情もあるかとは思う

けれど。

・主人公評
SAOにおいては主人公は二人いるだろうと思う。一人は桐ヶ谷和

人、そしてもう一人はキリトである。もちろん、本質的に彼ら二

人は異なってはいないけれど、生きている状況・範囲が根本的に

違う。そして、それにより極端にお互いに影響を与え合っている

と思う。

キリトはヴァーチャルな空間において、縦横無尽の活躍を見せる

。それはいつも、誰かを助けるか、自分の命がかかっているよう

な状況に彼は置かれる。彼にはいつも物語を縛る因果の鎖を破壊

することが求められている。周りから、あるいは遥か上から。同

時にどの世界においても、彼は英雄である。それを本人が望むと

望まざるとに関係なく。英雄としての生き方を彼は目的を果たす

過程でほとんどの場合において、求められてしまう。

本人にその気がなくとも、無地かうだろうとその役割を担ってい

るキリトに対して、桐ヶ谷和人は基本的には人との交流を積極的

には求めない筈の人間ではあるが、対人では物怖じという感情が

ないがごとくである。彼についてはずせないのはある意味でキリ

トすらを凌駕する行動力である。似ているようでそれぞれが補い

合い、彼らの人格を表象している。

・・・結論はその内に

考察中途終了
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